遊戯は、労働、権力<愛・自由・芸術>

愛、死と並ぶ人間の根本現象の一つであり、他の現象から導出することのできない独特の存在性格を有しており、多くの思想家が遊戯について考察している。

遊戯の定義・分類について、文化は遊戯のなかで生まれたと考えるホイジンガは、自由、非日常性、没利害性、時間的・空間的分離、規則性によって遊戯を定義しているし、また、カイヨワは遊戯を社会学的に分類した。

ほかに、具体的な現象としての遊戯を考察の対象とするのではなく、遊戯を人間あるいは世界の本質的なあり方とみなす思想家もいる。

古くは荘子が、自然に従って何ものにもとらわれることのない自由の境地、いわば人間と世界とが一つになった状態を「遊」と表現している。

またプラトンは、人間にとって最善の生き方は、「神の玩具」という役割に従って、このうえもなく美しい遊戯を楽しむことである、とした。

近代の思想家のなかでは、シラーが、構想力と悟性の遊動を美的判断の根拠とするカントを受けて、対象を受容しようとする素材衝動と対象を規定せんとする形式衝動がともに働く「遊戯衝動」が美を生み出すとし、また、美と遊ぶときにのみ人間は完全なものとなる、としている。

またニーチェにおいては、ヘラクレイトスの「パイス・パイゾーン」の断片の解釈を通じて、世界は善悪の彼岸において創造と破壊の遊戯を戯れるもの、と考えられた。

彼によれば、ギリシア悲劇は、根源的芸術家ディオニソスの遊戯であり、アポロン的仮象を通じての世界の自己救済の姿なのである。
update:2010年05月23日